諸葛 尚(しょかつ しょう、245年 - 263年)は、中国の三国時代の蜀の武将。祖父は諸葛亮。父は諸葛瞻。弟に諸葛京。
諸葛瞻の長男[1]。263年の蜀滅亡の際、魏の鄧艾が攻め込んでくると父と共に綿竹で戦死した[1]。
『華陽国志』によると「さっさと宦官の黄皓を斬らなかったために敗北を招いてしまった」と慨嘆して魏軍に斬り込んで戦死したとある。
『三国志演義』では第117回で登場。魏の侵攻に一度は勝利するが盛り返した魏軍に再度攻められて父が戦死すると、張遵の諫言を無視して出撃して戦死した。