弥右衛門(やえもん)は、江戸時代前期の岩槻藩主・阿部氏の家臣。
阿部重次に仕えた近習。慶安4年(1651年)4月20日、主君の重次が徳川家光に殉死した際、側近の荒井頼母が介錯した。その頼母も重次に殉じて切腹し、その頼母の介錯を弥右衛門が務めた。そして、弥右衛門も切腹して死去したという。16歳の若さだった。