山野辺城
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山野辺城(やまのべじょう)は、山形県東村山郡山辺町山辺にかつて存在した日本の城である。山辺城と記されることもある。
概要[編集]
平安時代前期の淳和天皇の時代である承和年間(834年から848年)に、郡司の小野良実が築城した館が起源といわれている。安土桃山時代の慶長6年(1601年)に、山野辺2万9000石の所領を最上義光から与えられた4男の山野辺義忠がこの館を修築して居城としたといわれる。城の形態は平山城である。
しかし、義光の死後に最上氏は最上騒動により改易され、義忠は備前国岡山藩の池田氏預かりの身となる。山野辺城は破却され、その跡地には代官所が設置されたり、白河藩の陣屋が設置されるなどしたものの、城自体は再建されることはなかった。
現在では城跡に立つ石碑、山野辺陣屋の玄関だけが往時の城をしのぶ遺構となっている。