尹黙
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尹 黙(いん もく、生没年不詳)は、中国の後漢末期から三国時代にかけての蜀の学者・政治家。字は思潜(しせん)[1]。子に尹宗。
生涯[編集]
益州梓潼郡涪県の出身[1]。荊州に遊学して司馬徽・宋忠らに師事して古文を学んだ[1]。全ての経書や史書に通じ、左氏伝は暗誦して2度と書物を調べる必要は無かった[1]。
劉備の入蜀後に劉備に仕えて勧学従事に任命され、後に太子僕に任命されて劉禅に左氏伝を教えた[1]。劉禅が皇帝に即位すると諌議大夫に任命され、234年に諸葛亮が死去すると太中大夫に任命され、その後に死去した[1]。
『三国志演義』では劉備の皇帝への即位を画策した一人で、諸葛亮の北伐の際に蜀の内政を務めた。