少帝弁
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少帝弁(しょうていべん、173年 - 190年)は、後漢の第13代皇帝(在位:189年)。姓名は劉 弁(りゅう べん)[1]。妻は唐姫。
生涯[編集]
父は第12代皇帝・霊帝[1]。母は何皇后[1]。189年に父帝が崩御したため、伯父の大将軍・何進により17歳で擁立されて即位した[1]。しかし同年に伯父が宦官の張譲らによって暗殺され、その張譲らによって宮廷から連れ去られてしまうが、何進の命令で上洛中だった董卓に保護された[1]。
外戚も宦官も消えた結果、実権は皇帝を保護した董卓が掌握するところとなり、董卓は先例を持ち出して少帝の廃位を実行して弘農郡王に降格し、新帝には異母弟の劉協が擁立された。母親の何皇后は董卓によって殺された。
190年に各地で反董卓の連合軍が挙兵すると、董卓は劉弁が擁立されることを恐れて李儒に命じて毒殺させた。享年18。
諡号は弘農懐王であり、『後漢書』には帝紀が立てられていないため、実質的に皇帝として認められなかった。
わずか数ヶ月間の即位であるが、劉弁が董卓に廃位されたことで後漢王朝は完全に統治能力を失った事を意味していた。
『三国志演義』では凡庸な帝として描かれ、董卓は劉協の方がまだ聡明と見えて廃位を実行する。最後は李儒によって無理矢理毒酒を飲み込まされている。