唐姫 (後漢少帝)
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唐姫(とうき、生没年不詳)は、後漢の第13代皇帝・少帝弁(劉弁)の妻。正室だが皇后には列していない。
生涯[編集]
豫州潁川郡の出身[1]。父は揚州会稽郡太守の唐瑁[1]。190年に董卓が袁紹ら反董卓連合軍を起こして挙兵した際、反対派に担ぎ上げられることを恐れて劉弁を毒殺するために李儒を差し向け、劉弁は覚悟を決めて死ぬ前に唐姫に舞を舞わせて今生の別れとし、唐姫に自愛するように遺言してから毒を飲んで残念ながら自殺した[1]。
唐姫は故郷に帰る事を許され、帰郷後も劉弁の遺言を守って操を立てて再婚しようとしなかった[1]。192年に董卓が暗殺され、董卓残党の李傕が政権を掌握すると、李傕は唐姫に妻になるように求めるが唐姫は固辞して身分も明かさなかった[1]。李傕の部下で当時は尚書の地位にあった賈詡は献帝にこのことを上奏して唐姫を引き取り、彼女は弘農王妃に封じられた[1]。
『三国志演義』では唐妃とされ、第4回で董卓・李儒により何太后や劉弁と共に永楽宮で殺害されている[1]。