小松藩
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小松藩(こまつはん)とは、江戸時代を通じて伊予国に存在した藩である。藩主家は外様大名の一柳氏。石高は1万石。藩庁は小松陣屋。現在の愛媛県西条市小松町(旧周桑郡小松町)に存在した。
概要[編集]
寛永13年(1636年)、伊予西条藩主の一柳直重が弟の一柳直頼に1万石を分与して小松に陣屋を構えさせたことで、小松藩が立藩した。この藩は9代にわたって一柳氏の支配が続いて、明治時代を迎えて廃藩置県により消滅した。
1万石の小藩であったが、和紙の生産や銀の産出により意外にも豊かな藩であった。藩政に見るべきところは少ないが、藩校に養生館が創設され、享保2年(1717年)から近藤篤山が朱子学を講じたことで知られている。
歴代藩主[編集]
- 一柳家
外様 1万石 (1636年 - 1871年)
- 直頼(なおより)〔従五位下、因幡守〕
- 直治(なおはる)〔従五位下、兵部少輔〕
- 頼徳(よりのり)〔従五位下、因幡守〕
- 頼邦(よりくに)〔従五位下、兵部少輔〕
- 頼寿(よりかず)〔従五位下、美濃守〕
- 頼欽(よりよし)〔従五位下、兵部少輔〕
- 頼親(よりちか)〔従五位下、美濃守〕
- 頼紹(よりつぐ)〔従五位下、兵部少輔〕
- 頼明(よりあきら)〔従五位下〕