小山進次郎
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小山 進次郎(こやま しんじろう、1915年(大正4年)4月26日 - 1972年(昭和47年)9月5日)は、日本の厚生官僚[1]。元厚生省保健局長、厚生年金基金理事長。生活保護や国民年金制度の創設に携わった。
経歴[編集]
新潟県出身。1938年3月東京帝国大学法学部政治学科を3年繰り上げ卒業、4月厚生省に入省。
戦時中、東京府総力戦研究所研究生や滋賀県警察部特高課長などを務める[2]。1945年10月休職、1946年1月復職[3]。
1948年5月社会局保護課長となり、旧生活保護法(1946年制定)の改定、1950年5月の現行生活保護法の制定に携わる。同年12月名著として知られる『生活保護法の解釈と運用』を刊行[1]。
1949年3月から4月社会局保護課長との兼任で更生課長、1951年8月大臣官房総務課長、1956年7月保険局次長、1958年7月大臣官房審議官[2]。
1959年の国民年金制度の創設に携わり、同年5月初代年金局長となる[1]。1962年7月保険局長、1965年6月に退官[2]。1967年2月厚生年金基金初代理事長[1][4]。
著書[編集]
単著[編集]
- 『生活保護法の解釈と運用』(日本社会事業協会、1950年/中央社会福祉協議会、1951年/全国社会福祉協議会、1975年)
- 『生活保護法の解釋と運用』(厚生労働省、2000年)
- 『国民年金法の解説』(時事通信社、1959年)
- 『日本社会保障基本文献集 第27巻』(菅沼隆監修、日本図書センター、2008年)
編著[編集]
- 『生活保護の基本問題』(日本社会事業協会[生活保護百問百答第三輯]、1949年)
- 『収入と支出の認定』(日本社会事業協会[生活保護百問百答第四輯]、1951年)
- 『社会保障関係法(全2巻)』(日本評論新社[法律学体系 第1部 コンメンタール篇 第26]、1953年)
分担執筆[編集]
- 森田宗一等著『少年問題と法律』(有斐閣、1951年)
- 大阪社会事業短期大学、日本社会事業短期大学編『社会事業講座 第6巻』(福祉春秋社、1952年)
- 全国市長会編『新しい都市行政のために』(全国市長会[市政パンフレット]、1955年)
- 「宮崎さんの思い出」刊行会編『宮崎さんの思い出』(「宮崎さんの思い出」刊行会、1956年)
- 商工財務研究会編『アルプス・シリーズ 第63~101輯』(商工財務研究会、1959年)
- 佐藤吉男著『社会保障と財政』(財務出版、1959年)
- 野田卯一著『国民年金法と解説』(宝文館、1959年)
- 公明選挙連盟『話しあいの友――助言者用』(公明選挙連盟、1960年)
- 厚生省年金局『国民年金の歩み 昭和34-36年度』(厚生省年金局、1962年)
- 国民生活局、経済企画庁国民生活局編『深刻化するこれからの老人問題――国民生活審議会調査部会老人問題小委員会報告』(経済企画協会、1968年)
- 仲村優一著『生活保護への提言』(全国社会福祉協議会[全社協選書]、1978年)
- 仲村優一著『仲村優一社会福祉著作集 第7巻 世界と日本の社会福祉』(旬報社、2003年)
出典[編集]
その他の参考文献[編集]
- 上田正昭ほか監修『講談社日本人名大辞典』(講談社、2001年、794頁)
- 日外アソシエーツ編『20世紀日本人名事典 あ-せ』(日外アソシエーツ、2004年、1068頁)
関連文献[編集]
- 小山進次郎氏追悼録刊行会編『小山進次郎さん』(小山進次郎氏追悼録刊行会、1973年)
- 厚生省社会局保護課編『生活保護三十年史』(社会福祉調査会、1981年)
- 水島宏明『母さんが死んだ――しあわせ幻想の時代に』(ひとなる書房、1990年)