葛西嘉資

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葛西 嘉資(かさい よしすけ、1906年明治39年)6月17日 - 2001年平成13年)4月29日)は、日本の厚生官僚、社会福祉事業家[1]。元厚生事務次官、日本赤十字社副社長、社会福祉事業振興会長。

経歴[編集]

新潟県佐渡郡羽茂村(現・佐渡市羽茂本郷)の「やまか味噌」の長男として生まれる[2]。羽茂小学校、東京府立第三中学校[3]、第一高等学校卒業[2]。1929年東京帝国大学法学部卒業、内務省に入省[4]。1935年愛知県学務部社会課長、1936年東京府学務部社会課長[5]。1938年に新設された厚生省に移る[4]。1942年7月同生活局生活課長、1943年7月官房秘書課長、1945年9月官房総務課長[6]。1946年1月同社会局長。1948年3月厚生次官(1949年に厚生事務次官に改称)となり、占領期の厚生行政の責任者として、生活保護法児童福祉法身体障害者福祉法など戦後日本の基本的な社会福祉制度の創設に携わった[4]

1951年5月に退官、その後は主に障害者分野の民間社会福祉で活動した[4]。1953年から1961年日本赤十字社副社長[6]。1962年社会福祉事業振興会会長[4]。1970年厚生行政顧問、日本児童福祉給食会理事長。1981年医薬品副作用被害救済基金理事長[1]。この間、1946年日本社会事業学校初代校長、1950年日本社会事業短期大学初代学長[7]、1964年東京パラリンピック運営委員会会長[1]、財団法人日本障害者リハビリテーション協会副会長(78年から顧問)[8]を務めた。

財団法人藤楓協会会長[1]、東京都社会福祉審議会委員長[9]、財団法人日本身体障害者スポーツ協会会長[10]、中央心身障害者対策協議会会長[11]、医薬品副作用被害救済・研究振興基金顧問[12]、国民休暇村協会会長、関東羽茂会名誉会長[13]も務めた。1978年1月1日時点では靖国神社総代(10人)の一人であった[14]

2001年4月29日、肺炎のため、東京都杉並区の病院で死去、95歳[15]

著書[編集]

単著[編集]

  • 『アメリカの社会事業を見て』(日本社会事業協会、1950年)

編著[編集]

  • 『結核豫防法令便覽』(日本結核豫防協會、1937年)

訳書[編集]

  • 『クララ・バートン――赤十字の母』(H・D・ボイルストン著、時事通信社[時事新書]、1957年)

分担執筆[編集]

  • 根本善春編『大島辰次郎君追想録』(根本善春、1939年)
  • 高木金之助『フラナガン神父と少年の町』(日本教育出版社、1948年)
  • 安斎貞子『野戦看護婦』(富士書房、1953年)
  • 日本赤十字社、日本眼衛生協会編『我国児童の失明とその予防』(日本眼衛生協会、1954年)
  • 「宮崎さんの思い出」刊行会編『宮崎さんの思い出』(「宮崎さんの思い出」刊行会、1956年)
  • 日本の赤十字刊行委員会編『日本の赤十字』(日本赤十字社、1956年)
  • 厚生省20年史編集委員会編『厚生省20年史』(厚生問題研究会、1960年)
  • 社会保障制度審議会編『社会保障制度審議会十年の歩み』(社会保険法規研究会、1961年)
  • 全国鉄身障者協会『四十年のあゆみ』(全国鉄身障者協会、1962年)
  • 『パラリンピック国際身体障害者スポーツ大会写真集』(国際身体障害者スポーツ大会運営委員会、1964年)
  • 五十嵐茂雄『フロジャク神父の生涯』(緑地社、1964年)
  • 厚生省社会局編『社会局50年』(厚生省社会局、1970年)
  • 社会福祉研究所『占領期における社会福祉資料に関する研究報告書』(社会福祉研究所、1978年)
  • 厚生省社会局保護課編『生活保護三十年史』(社会福祉調査会、1981年)
  • 吉田久一、一番ヶ瀬康子編『昭和社会事業史への証言』(ドメス出版、1982年)
  • 小山路男編著『戦後医療保障の証言』(総合労働研究所、1985年)
  • 草柳大蔵『灘尾弘吉先生と語る』(全国社会福祉協議会、1992年)
  • 仲村優一『仲村優一社会福祉著作集 第7巻 世界と日本の社会福祉』(旬報社、2003年)

出典[編集]

  1. a b c d 20世紀日本人名事典
  2. a b 広田貞吉『佐渡と佐渡人』広田貞吉、1975年
  3. 菊池一郎「羽茂高校創立の周辺┉┅┉歴史の流れのなかで┅┉┅PDF」新潟羽高会
  4. a b c d e 仲村優一「葛西嘉資」朝日新聞社編『「現代日本」朝日人物事典』朝日新聞社、1990年、434頁
  5. 吉田久一、一番ヶ瀬康子編『昭和社会事業史への証言』ドメス出版、1982年、100頁
  6. a b 泉孝英編『日本近現代医学人名事典 1868-2011』医学書院、2012年、165頁
  7. 沿革 日本社会事業大学同窓会
  8. 30年のあゆみ 日本障害者リハビリテーション協会30年 戸山サンライズ10年 NO.16 障害保健福祉研究情報システム
  9. 「東京都が在宅老人の福祉充実 基金創設で予算200億円」『朝日新聞』1986年12月23日付22面朝刊(2社)
  10. 「「障害者競技に使って」 瀬古選手ら300万円寄付」『朝日新聞』1987年2月9日付12面夕刊(2社)
  11. 「障害者対策で首相に意見書」『朝日新聞』1987年5月27日付朝刊3面(3総)
  12. 「総理府人事(15日付)」『朝日新聞』1989年12月15日付朝刊2面(2総)
  13. 本間慎葛西名誉会長のご逝去を悼む」関東羽茂会だより’01、7月号、No.293
  14. 「A級戦犯「合祀」の謎 後世の「大問題」、決めたのはだれか ニッポン戦後60年」『アエラ』2005年7月25日号、39頁
  15. 葛西嘉資氏死去/元厚生事務次官、元日赤副社長 四国新聞社(2001年5月2日)

その他の参考文献[編集]

関連文献[編集]

  • 岸田到 『葛西嘉資氏の横顔』 社會福祉懇話會、1952年

関連項目[編集]