吉原健二

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吉原 健二(よしはら けんじ、1932年昭和7年)[1] - )は、日本の厚生官僚。元厚生事務次官。一般社団法人年金綜合研究所評議員[2]、公益財団法人難病医学研究財団評議員[3]

経歴[編集]

1955年東京大学法学部卒業、厚生省に入省[4]。1959年年金局福祉年金課、1961年大臣官房企画室、1964年三重県出向(64年9月から67年4月民生部厚生課長[5])、1970年大臣秘書官、1971年医務局指導課長、1975年医務局整備課長、1978年金局企画課長、1980年大臣官房審議官、1982年公衆衛生局老人保健部長[6]、1983年8月児童家庭局長、1984年6月年金局長、1986年6月社会保険庁長官、1988年6月厚生事務次官[1]。1990年に退官[4]

1990年11月厚生年金基金連合会(現・企業年金連合会)理事長、1999年2月一般財団法人厚生年金事業振興団理事長[1]。 厚生省を退官後、人口問題審議会、社会保障制度審議会、年金審議会、児童福祉審議会、財政審議会、資金運用審議会等の委員[4]、公益財団法人日本訪問看護振興財団理事長[7]、厚生年金事業振興団顧問[8]、公益財団法人年金シニアプラン総合研究機構評議員、公益財団法人難病医学研究財団理事長を歴任[4]

受賞歴[編集]

  • 1987年、財団法人年金総合研究センター(現・公益財団法人年金シニアプラン総合研究機構)の第2回山口新一郎賞を受賞[9]
  • 2004年4月29日、春の叙勲で瑞宝重光章を受章[10]

人物[編集]

著書[編集]

単著[編集]

  • 『わが国の公的年金制度――その生い立ちと歩み』 中央法規出版、2004年

共著[編集]

  • 『日本医療保険制度史』 和田勝共著、東洋経済新報社、1999年、増補改訂版2008年
  • 『日本公的年金制度史――戦後七〇年・皆年金半世紀』 畑満共著、中央法規出版、2016年

編著[編集]

  • 『老人保健法の解説』 中央法規出版、1983年
  • 『新年金法――61年金改革解説と資料』 全国社会保険協会連合会、1987年
  • 『日独社会保険政策の回顧と展望――テクノクラートと語る医療と年金の歩み』 幸田正孝、田中耕太郎、土田武史共編著、法研、2011年

脚注[編集]

  1. a b c 日本医療保険制度史 (増補改訂版) 紀伊國屋書店
  2. 役員・評議員 一般社団法人年金綜合研究所
  3. 評議員会名簿PDF”. 公益財団法人難病医学研究財団 (2017年6月15日). 2017年10月13日確認。
  4. a b c d 日本公的年金制度史―戦後七〇年・皆年金半世紀 紀伊國屋書店
  5. 「2人いずれも三重出向経験 元厚生次官ら殺傷 【名古屋】」『朝日新聞』2008年11月19日付夕刊9面(1社会)
  6. 「年金テロと社保庁リストラ 厚生事務次官宅・連続殺傷事件」『アエラ』2008年12月1日号、73頁
  7. 「看護婦らの充実求める 日本訪問看護振興財団」『朝日新聞』1998年5月27日付夕刊2面(2総)
  8. a b 国民皆保険・皆年金(16)皆年金創設時の「証言」(上) yomiDr.(2013年10月18日)
  9. 山口新一郎賞受賞者の決定についてPDF”. 公益財団法人年金シニアプラン総合研究機構 (2017年6月13日). 2017年10月13日確認。
  10. 「春の叙勲 国内の主な受章者と海外関係分」『朝日新聞』2004年4月29日付朝刊29面(東特集J)
  11. 富永健一『社会変動の中の福祉国家――家族の失敗と国家の新しい機能』中央公論新社(中公新書)、2001年、ⅸ
  12. 「「年金コンビ」標的か 「夫が狙われる」刺され重傷、吉原さん妻 元厚生次官宅襲撃」『朝日新聞』2008年11月19日付朝刊39面(1社会)
  13. 「元厚生次官狙い連続テロか 年金改革進めた2人 山口夫妻殺害、吉原氏の妻重傷」『朝日新聞』2008年11月19日付朝刊1面(1総合)
  14. 「「年金テロ」全情報 山口元事務次官夫妻殺害、吉原元事務次官の妻重傷の衝撃」『週刊朝日』2008年12月5日号、18頁