大山正 (官僚)

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大山 正(おおやま ただし、1913年大正2年)[1] - 2006年平成18年)3月4日)は、日本の厚生官僚。元厚生事務次官。

経歴[編集]

秋田市生まれ[1][2]。旧制秋田中、一高、東京帝国大学法学部を卒業、内務省に入省。戦後は厚生省国立公園部長、児童局長、社会局長、社会保険庁長官[1]、厚生事務次官を歴任。

その後、母子愛育会会長、中央児童福祉審議会委員長を務めた[3]。2006年3月4日、呼吸不全のため、東京都杉並区の病院で死去、92歳[2][4]

大山、小山事件[編集]

1965年、中央社会保険医療協議会は診療側と支払い側の対立から答申を出すことが出来ず、神田博厚相が9.5%の診療報酬引き上げを職権告示した。これに対し、支払い側の健保連と4健保組合は告示取り消しの行政訴訟を起こした。4月、東京地裁は本訴確定まで告示の効力を停止する決定を下し、神田厚相は即時抗告した。5月、東京高裁は本訴については判断せず、地裁の原決定を取り消した。この間、厚生省は地裁決定の効力を4健保組合の加入者だけに認めたため、医療料金が2本立てになるという混乱が生じ、患者が死亡する事件も起きた。大山正事務次官と小山進次郎保険局長は2本立て医療料金問題と、赤字対策の健保法改正案を国会に提出できなかったことの責任を問われ、6月2日付で更迭された[5]。この人事は当時強い影響力を持っていた日本医師会武見太郎会長の指図があったといわれ、厚生労働省では「大山、小山事件」として語り継がれている[6]

著書[編集]

単著[編集]

  • 『老人福祉法の解説』 全国社会福祉協議会、1964年
    • 『戦後高齢社会基本文献集 第5巻』 小笠原祐次監修、岡本多喜子、中村律子編、日本図書センター、2006年

分担執筆[編集]

  • 『社会局50年』 厚生省社会局編、厚生省社会局、1970年

脚注[編集]

  1. 1.0 1.1 1.2 あきた(通巻29号) 1964年(昭和39年)10月1日発行
  2. 2.0 2.1 大山正氏死去/元厚生事務次官 四国新聞社
  3. 「児童手当、対象広げ期間短縮 第2子から、乳幼児期だけ 審議会意見書」『朝日新聞』1984年12月13日付朝刊3面(3総)、「保母受験資格引き上げへ 中央児童福祉審議会」『朝日新聞』1988年5月19日付朝刊3面(3総)
  4. 「大山正さん死去」『朝日新聞』2006年3月6日付朝刊39面(1社会)では肺炎で死去。
  5. 昭和40年PDF”. 日本医師会創立記念誌 戦後50年のあゆみ.
  6. 「(窓・論説委員室から)大山、小山事件」『朝日新聞』2006年3月17日付夕刊2面(2総合)

関連文献[編集]

  • ドキュメント人と業績大事典編集委員会編 『ドキュメント人と業績大事典 第5巻』 ナダ出版センター、1999年