小久保藩

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小久保藩(こくぼはん)は、明治時代初期のごくわずかな期間だけ上総に存在したである。藩主家は譜代大名田沼氏(1万1270石)。藩庁は小久保陣屋。現在の千葉県富津市に存在した。

概要[編集]

明治元年(1868年)9月、遠州相良藩主・田沼意尊移封されたことにより立藩した。意尊は第10代征夷大将軍徳川家治のもとで老中を務めて田沼時代を築き上げた田沼意次の曾孫である。意尊の所領は上総周淮郡・天羽郡などにあった。

明治2年(1869年)6月、版籍奉還により意尊は小久保藩知事となる。意尊は洋学を取り入れた近代的な藩校創設に尽力したが、同年12月に病死した。養嗣子の田沼意斉(実父は大岡忠恕)が家督を相続し、同様に藩校創設に尽力している。明治3年(1870年)2月に意斉は藩知事となった。

明治4年(1871年)7月の廃藩置県により小久保藩は消滅。小久保県となり、11月に木更津県に統合された。

歴代藩主[編集]

田沼家

譜代、1万1270石

  1. 意尊(おきたか)〈従五位下、玄蕃頭〉
  2. 意斉(おきなり)〈従五位下〉

廃藩時点の領地[編集]