室賀 正吉(むろが まさよし、? - 永禄11年3月23日[1](1568年4月20日))は、戦国時代の武将。信濃小県郡の国衆である室賀盛清の3男[1]。兄に信俊[1]。受領名は常陸守[1]。甲斐武田氏の家臣。
小島(現在の上田市)で100貫文の知行を持ち、永禄10年(1567年)8月7日の「下之郷起請文」においては室賀一族と連名して山県昌景に提出している[1]。この際に兄の信俊が敵に内通したら武田信玄に伝えて忠誠を誓うことを誓っている[1]。その翌年に死去。法名は花巌禅春禅定門[1]。