安藤紀典
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安藤 紀典(あんどう のりすけ[1]、1940年[2] - )は、教育研究者、予備校講師。
経歴・人物[編集]
1960年~1963年東京外国語大学に在籍[3]。全国学生自治会連絡会議(全自連)のメンバーで、1961年に都自連代表委員会議長[4]、1963年に全学連再建協議会事務局長に就任[5]。その後、統一社会主義同盟の学生組織「社会主義学生戦線」(通称:フロント)の活動家となった[6][3]。
東京大学大学院教育学研究科博士課程中退[1]。大学院では勝田守一から研究指導を受けたが[6]、持田栄一(教育学部教員)と親しく、1968年5月から11月まで構造改革派系の論壇誌『現代の理論』に持田、伊藤(池田)祥子、岡村達雄との共同研究「教育計画」を連載した[2]。当時、日教組や多くの教育学者らは「教育に経済は介入してはならない」という「国民教育論」を展開していたが、持田栄一、岡村達雄、玉田勝郎、安藤紀典、伊藤祥子、村田栄一らはマルクス『資本論』に依拠しながら公教育の国家のイデオロギー支配、労働力商品の再生産機能を強調して「国民教育論」批判を展開した[7]。フロントの活動家として1968年からの東大闘争に参加し、『朝日ジャーナル』1969年2月2日号に「闘争に終わりはない――私のストライキ続行宣言」を執筆[3]、1969年9月にそれらをまとめた『大学革命の原理』を刊行、同年に大学闘争への見解を異にした持田と決別した[2]。
1992年時点で予備校教師、『月刊フォーラム』編集長[8]。2012年時点で池山重朗著作集刊行委員会編集担当[9]。2014年時点で河合塾講師[1]。
著書[編集]
単著[編集]
共著[編集]
- 『女性解放と現代』 大原紀美子、塩原早苗共著、三一書房(三一新書)、1972年
- 『合格できる小論文 《自己評価グラフ付》-系統別・論述タイプ別実践問題集/採点者が納得する、答案の作り方-』 菅孝行、白川真澄、森永和英共編著、河合出版、1999年
- 『早稲田大の小論文』 菅孝行、白川真澄、森永和英共編著、河合出版、2000年
- 『慶應大の小論文』 菅孝行、白川真澄、森永和英共編著、河合出版、2003年
- 『小論文入門 《推薦小論文の書き方付》 -改訂版-』 菅孝行、白川真澄、森永和英共編著、河合出版、2004年
分担執筆[編集]
- 「講座現代と変革」編集委員会編集『講座現代と変革 1 現代危機の諸相』 新地平社、1984年
- フォーラム90s編集『グラムシの思想空間――グラムシの新世紀・生誕101年記念論集』 文流、社会評論社(発売)、1992年
- 池山重朗『原爆・原発――核絶対否定の理論と運動』 明石書店、2012年
- 金井淑子編『〈ケアの思想〉の錨を――3.11、ポスト・フクシマ〈核災社会〉へ』 ナカニシヤ出版、2014年
脚注[編集]
- ↑ a b c d e 〈ケアの思想〉の錨を 株式会社ナカニシヤ出版
- ↑ a b c 稲井智義「持田栄一の幼児教育制度論:ルンビニー学園における実践の「共有化」との関わりに着目して」『幼児教育史研究』11号、2016年、16-31頁
- ↑ a b c 安藤紀典「東大闘争点描(8) 5.書き遺しておきたいこと」 フロント(社会主義同盟)機関誌『先駆』856号(2009年12月)
- ↑ 三一書房編集部編『資料戦後学生運動』別巻、三一書房、1968年、136頁
- ↑ 日本教育新聞社編『日本教育年鑑 1964年版』日本教育新聞社、1963年、92頁
- ↑ a b 安藤紀典「新連載 東大闘争点描(1) 1.1月18~19日の前後」 フロント(社会主義同盟)機関誌『先駆』848号(2009年5月)
- ↑ 池田祥子「高校全入運動と大衆教育社会の到来-戦後教育を問う(その5)」『現代の理論』第10号(2016年11月1日)
- ↑ 差別を考える研究会編集『年報差別問題研究2 差別の定義をめぐって』明石書店、1992年、210頁
- ↑ PP研からのお知らせ : 【OPEN】運動史から振り返る 原発と原爆―第3回、4回のご案内(再掲) ピープルズ・プラン研究所(2012年5月25日)