安斎庫治
安斎 庫治(あんざい くらじ、1905年5月20日 - 1993年2月17日)は、社会運動家[1]。日本共産党(マルクス・レーニン主義)の指導者。元満鉄調査部員、日本共産党中央委員。
経歴[編集]
福島県生まれ[1]。1913年日本植民地下の朝鮮に移住[2]。12歳のとき中国に渡り[1]、満鉄本渓湖事務所の見習いとなり[3]、上海にあった東亜同文書院に入学(第27期生)[4]。中西功、水野成らと史的唯物論研究会で活動、尾崎秀実の指導を受ける。1930年7月頃西里竜夫、川合貞吉、王学文らと中国問題研究会に参加[1]。同年10月頃中国共産主義青年団に加盟、東亜同文書院支部を結成[5]。同年12月日本の軍艦に乗船する士官候補生に反戦ビラを配布した事件で検挙[6]。1931年同文書院を中退後、日本に強制送還。日本共産青年同盟(共青)、プロレタリア科学研究所(プロ科)中国問題研究会に在籍し、1932年4月プロ科への弾圧で治安維持法違反で検挙、執行猶予付き刑[1]。1934年全協東京支部の活動で再検挙、懲役4年の実刑判決[7]。1937年8月転向し出獄、1939年蒙古の満鉄包頭分室嘱託となり、蒙古の古文書の調査に携わる[3][7]。1940年関東軍に作戦を提言して五原作戦に参加[8]。1942年4月満鉄張家口調査所に勤務[7]。同年6月張家口で新庄憲光と治安維持法違反で検挙されたが(中共諜報団事件)[9]、満州特務機関員だった実兄の要請で釈放。同年9月の満鉄調査部事件でも検挙・併合審理されたが不起訴となり[7]、1943年1月釈放。同年6月蒙古連合自治政府内政部嘱託[1]。
戦後『労農通信』編集局長、日本共産党調査部員[3]。1950年1月野坂参三の提案で日共中央の使節として北京に密航、中国共産党中央対外連絡部(中連部)に対し、宮本顕治、野坂参三を持ち上げ、徳田球一、伊藤律、長谷川浩を扱き下ろし、中連部の支持を取り付けた。北京機関での活動が野坂、宮本に評価され、1955年の六全協後に日共本部細胞長、1958年の第7回党大会で中央委員、1961年の第8回党大会で幹部会委員候補、1964年書記局員に昇進したが[10]、1967年1月中国派として宮本指導部批判の意見書を提出し除名された[4]。同年4月川島豪らと日本共産党(左派)神奈川県常任委員会(神奈川左派)を結成[11]。1968年に結成された日本共産党(左派)全国協議会に参加したが、福田正義、寺尾五郎らのグループと対立し[12]、1970年日本共産党再建準備委員会を結成した[13]。1974年7月日本共産党再建準備委員会と日本共産党(マルクス・レーニン主義)山口県委員会が中心となって日本共産党(マルクス・レーニン主義)全国委員会を結成し[14]、以降は同派の指導者として活動した[15]。1993年2月17日心不全で死去[4]、87歳。
日本共産党(マルクス・レーニン主義)は安斎死後の1999年6月に共産主義者同盟(赫旗派)と統合し労働者共産党(指導者:松平直彦)を結成した[16]。
人物[編集]
宮下弘著『特高の回想』によると、安斎はゾルゲ事件で検挙されたとき、関東憲兵隊の実力者であった実兄の強い抗議で釈放されたという。石堂清倫も同様の証言をしており、関東軍が綏遠省後套地区(五原地方)への攻撃に手こずり農民の懐柔に失敗したとき、安斎は中国政府から黄河治水文書を奪取すれば農民は従うだろうと関東軍に提言し、その通りの作戦が行われたという(五原作戦)[17]。
著書[編集]
- 『終戦後におけるわが國の労働運動――終戰から2・1ゼネストまで 上』海野幸隆共著、潮流社(潮流講座經濟學全集 第三部 日本資本主義の現状分析)、1949年
- 『終戦後におけるわが國の労働運動――2・1ゼネストから三月鬪爭まで 中』海野幸隆共著、潮流社(潮流講座經濟學全集 第三部 日本資本主義の現状分析)、1950年
- 『日本共産党綱領批判』東方書店(人民双書)、1967年
- 『宮本修正主義批判』東方書店(人民双書)、1968年
- 『日本と中国のあいだで――安斎庫治聞き書き』述、竹中憲一編、皓星社、2018年
出典[編集]
- ↑ a b c d e f 近代日本社会運動史人物大事典編集委員会編『近代日本社会運動史人物大事典 第1巻』日外アソシエーツ、1997年、151頁
- ↑ 樋口篤三『革命家・労働運動家列伝――樋口篤三遺稿集 第1巻』同時代社、2011年、146頁
- ↑ a b c 伊藤律『伊藤律回想録』文藝春秋、1993年、66頁
- ↑ a b c 安斎庫治聞き書き 日本と中国のあいだで 皓星社
- ↑ 小尾俊人解説、石堂清倫編『ゾルゲ事件 第24巻』みすず書房(現代史資料)、1962年、666頁
- ↑ 近代日中関係史年表編集委員会編集『近代日中関係史年表――1799‐1949』岩波書店、2006年、467頁
- ↑ a b c d 白井久也編著『【米国公文書】ゾルゲ事件資料集』社会評論社、2004年、475-476頁
- ↑ 渡部富哉監修、伊藤律書簡集刊行委員会編『生還者の証言――伊藤律書簡集』五月書房、1999年、13頁
- ↑ 国会会議録 | 第005回 衆議院 法務委員会 第022号 昭和24(1949)年05月18日(水曜日)
- ↑ 渡部富哉監修、伊藤律書簡集刊行委員会編『生還者の証言――伊藤律書簡集』五月書房、1999年、13・22頁
- ↑ 川島豪、塩見孝也『いま語っておくべきこと――対談 革命的左翼運動の総括 現代資本主義論と社会主義論』新泉社、1990年
- ↑ 『増補改訂'70年版 全学連各派――学生運動事典』双葉社、1969年、182頁
- ↑ 渡部富哉監修、伊藤律書簡集刊行委員会編『生還者の証言――伊藤律書簡集』五月書房、1999年、20頁
- ↑ 田代則春『日本共産党の変遷と過激派集団の理論と実践』立花書房、1985年、170頁
- ↑ 田代則春『日本共産党の変遷と過激派集団の理論と実践』立花書房、1985年、260頁
- ↑ 結成宣言 労働者共産党
- ↑ 渡部富哉「反論「尾崎秀実の14日逮捕」は誤りか─「太田耐造資料」からゾルゲ事件端緒説を追う─(その3)」ちきゅう座(2019年12月5日)
関連文献[編集]
- 安斎庫治追悼集刊行委員会編著『安斎庫治追悼集』安斎庫治追悼集刊行委員会、1995年
- 増山太助『戦後期左翼人士群像』柘植書房新社、2000年
- 石堂清倫『わが異端の昭和史 下』平凡社ライブラリー、2001年