孫秀 (呉)
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孫 秀(そん しゅう、生没年不詳)は、中国の三国時代の呉の皇族・武将。字は彦才(げんさい)[1]。呉の大帝・孫権の弟・孫匡の孫[1]。孫泰の子。孫倹の父。孫晷の曾祖父。妻の蒯氏は蒯鈞の子で蒯良の孫。
生涯[編集]
呉の武将として前将軍になり夏口を守備するが、皇族として人望があり軍権も握っていたため時の皇帝である孫皓から危険視され、270年に殺されそうになったため西晋に亡命した[1]。西晋では驃騎将軍・会稽公に封じられる[1]。呉滅亡の際、南を向いて「孫皓は何と言う人でなしか」と泣いたという[1]。西晋の永寧年間(301年 - 302年)に死去した[1]。
西晋の皇族で八王の乱に加わった趙王・司馬倫の腹心に同姓同名の人物がおり、こちらは司馬倫が実権を握った際に驃騎将軍に任命されており、没年も301年に八王の乱で殺されるなどややこしいが別人である。
『三国志演義』では最終回に登場するが西晋への亡命は描かれず、孫皓への非難が描かれている。