孫匡
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孫 匡(そん きょう、生没年不詳)は、中国の後漢末期の武将。字は季佐(きさ)[1]。父は孫堅。兄は孫策・孫権・孫翊。異母弟に孫朗。子は孫泰。孫は孫秀。曾孫は孫倹。玄孫は孫晷。
生涯[編集]
孫堅の4男[1]。孝廉と茂才に推挙されたが、任用される前に20歳の若さで早世したという[1]。孫策の死後に孫権と曹操が同盟を結んだ際、曹操の姪を娶っている[1]。
『江表伝』では222年に失態を演じて孫権の咎めを受けて孫姓を剥奪されて丁姓を称し、死去するまで禁固されたとする。しかし孫堅の死が192年であるから222年に生きているなら30歳を超えているし、改姓したとするのも子孫が孫姓を称していることから考えにくいし年代が合わない[1]。
『三国志演義』では第29回で孫策と曹操が親善を結ぼうとした際に曹仁の娘を娶っている。