大関氏
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大関氏(おおぜきし)とは、日本の氏族である。江戸時代には外様大名となり、下野国黒羽藩主となった。歴代当主の通字は「増」。藩庁は黒羽陣屋。江戸城内における詰間は柳間。家紋は大関沢潟。
概要[編集]
出自は丹治氏。豊臣秀吉の小田原征伐の際、大関高増が秀吉の下にいち早く参陣したので、豊臣政権下における下野国黒羽城主となった。秀吉の死後、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで高増の3男・大関資増は徳川家康に属したので、戦後に2万石の黒羽藩主となった。
以後、明治時代まで黒羽藩を支配し続けた。歴代藩主のうち、江戸時代後期の藩主である大関増業は化学者として知られ、藩校も創設している。
明治時代に子爵に列した。
当主[編集]
- 大関高清
- 大関光清
- 大関清実
- 大関氏清
- 大関基清
- 大関家清
- 大関増清
- 大関廣増(弥七郎[1])
- 大関増信(右衛門大夫[1]、嘉吉3年3月8日(1443年4月8日)没[1][2]、法名:巌叟道泉[2])
- 大関忠増(弥五郎[3]、美作守[1][2]、長禄3年5月6日(1459年6月6日)没[1][2]、享年57[1][2]、法名:道忠[1]/道光[4]/大義道忠[3])
- 大関増雄(常陸介[1][2])
- 大関宗増
- 大関増次(宗増の嫡男。)
- 大関高増(宗増の養子。実父は大田原資清。)
- 大関清増
以降は黒羽藩を参照。
系譜[編集]
大関氏系図