大道寺資親
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大道寺 周勝(だいどうじ ちかかつ、永禄13年3月21日[1](1570年4月26日))は、戦国時代の武将。後北条氏の家臣。大道寺政繁の父。
来歴[編集]
仮名は弥三郎。受領名は駿河守。大道寺周勝の子かあるいは弟と言われる。周勝の長男だった源六が早くに死去したことから[1]、後継者となって北条氏康に仕えた。
永禄2年(1559年)の役帳では、周勝の同心として伊豆国丹那郷を所領としていたことがわかる[1]。
永禄6年(1563年)には大道寺家の家督を継承して禁制を発していることから、この頃までに家督を相続していたことがわかっている。氏康に仕えて鎌倉代官、武蔵国河越城代、河越衆寄親を務めている[2]。
永禄13年(1570年)3月21日に死去し、嫡子の政繁が跡を継いだ。法名は広照院殿実相道順大居士[2]。