大道寺周勝
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大道寺 周勝/重興(だいどうじ ちかかつ/しげおき、生没年不詳[1])は、戦国時代の武将。後北条氏の家臣。
来歴[編集]
仮名は源六。受領名は駿河守。父は大道寺盛昌。天文17年(1548年)8月から史料上で初見され、3年後に家督を相続していたことが確認できるため、この3年間の間に家督を相続して北条氏康に仕えて、鎌倉代官や河越城代を務めていたことがうかがえる[1]。
永禄2年(1559年)の役帳では、河越衆筆頭の地位にあり、所領は1200貫文余である。永禄4年(1561年)の書状を最後に史料上で確認することができず、2年後には息子または兄弟の大道寺資親が確認されるようになっているため、その間に没したものと見られている[1]。