大福御前
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大福御前(おふくごぜん、天文10年(1541年) - 文禄2年5月10日[1](1593年6月9日))は、戦国時代の女性。北条氏邦の正室。
生涯[編集]
父は武蔵国衆の藤田泰邦で[1]、父が北条氏康に臣従してその息子の氏邦を養子に迎えた際、彼女は氏邦に嫁いだ。
氏邦には4人の実子がいたが、その母親が彼女だったかどうかは不明。ただ、3男の北条光福丸は天正15年(1587年)生まれ[2]と彼女が46歳の時であるため、生母とは考えにくい。
文禄2年(1593年)5月10日に氏邦に先立って死去した[1]。53歳没[1]。法名は貞心院殿花屋宗栄尼大姉[1]。先行きを不安視しての自殺とする説があるが、定かではない。