北条 光福丸(ほうじょう みつふくまる、天正15年(1587年) - 慶長4年7月15日(1599年9月4日))は、戦国時代の武将。北条氏邦の3男[1]。
北条氏邦の3男で、北条氏康の孫である。天正18年(1590年)の小田原征伐の際に氏邦の武蔵国鉢形城が豊臣軍に落とされた後、家臣の町田氏に養育された。慶長4年(1599年)7月15日に13歳で夭折した。法名は医王院殿寿林光福大童子[1]。