多田雪霜談
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多田雪霜談(ただせっそうだん)とは、摂津国の塩川氏に関する史料である。
概要[編集]
著者・成立年代[編集]
著者も成立年代も不明である。ただ、著書の中に江戸時代中期に差し掛かる延宝7年(1679年)の記述が見えるため、恐らく江戸時代の後代作品だと思われる。
内容[編集]
摂津国多田の国衆・塩川家の滅亡を描く軍記物である。全10巻。
多田満仲を始祖とする多田源氏の歴史から書き始めており、その中で多田院御家人筆頭の塩川氏の家伝を載せている。2巻と3巻は織田信長の時代で摂津・丹波の攻略を描いており、当時の塩川国満が信長に早くから従って信任を得たことを書いている。波多野秀治や荒木村重の裏切りと滅亡についても書かれている。4巻前半では本能寺の変による信長の死、山崎の戦いと光秀の敗死、そして塩川一族はそんな中で信長や秀吉に従って摂津での地歩を確保したことを書いている。
4巻後半では天正12年(1584年)の摂津の能勢氏との境界争いが書かれている。その後の巻では秀吉の九州出兵で能勢頼次が秀吉に従って出陣した隙を突いて、塩川氏が能勢氏の所領に攻め込んで横領してしまい、これを知った秀吉は激怒して片桐且元、池田輝政、堀尾吉晴らの軍勢を差し向けて塩川国満を殺し、塩川氏を滅ぼしたところまで書かれている。