坂本將貴
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選手情報 | |
---|---|
本名 | 坂本將貴 |
英字表記 | Masataka Sakamoto |
生年月日 | 1978年2月24日(46歳) |
出身地 | 日本、埼玉県 |
身長 | 171 cm |
体重 | 70 kg |
ポジション | ミッドフィールダー |
クラブチーム | |
2000-2006 2007 2008-2012 |
ジェフユナイテッド千葉 アルビレックス新潟 ジェフユナイテッド千葉 |
坂本將貴(さかもと まさたか、1978年2月24日 - )は日本のサッカー選手。2002年までの登録名は坂本将貴。
人物・評価[編集]
- 日体大時代のポジションは本人曰く「トップ下」。今の運動量と堅実さを武器にしたプレースタイルは当時を知る人にとっては信じられないだろうと語る。
- 2002年・2003年のリーグ戦は全試合フル出場、つまり、警告の累積による出場停止がなかった。しかし、2004年9月11日の東京ヴェルディ1969戦で痛恨のレッドカード。次節が出場停止となり、その年のリーグ戦出場試合数は「29」にとどまった(2004年までのリーグ戦は全30試合である)。
- 2005年シーズンは、ジュビロ磐田に移籍した村井慎二の穴を埋めるために左サイドでプレーすることに。坂本のいた右サイドには、若手の山岸智、水野晃樹が入った。
- イビチャ・オシム監督がいうには「(左右両足を使える)坂本以外に左サイドでプレーできる選手がいなかったから」ということだが、坂本自身はこのポジション変更により、さらに自分のプレーの幅をひろげた。
- 利き足は右だが、左足からのキックも非常に精度が高い。その理由は本人曰く「右足を骨折していた時に左足のキック練習を相当やった」からだそうである。
- 中西永輔の2番を継ぎ「ミスタージェフ」と云われた人望も厚く移籍先の新潟でもキャプテンを勤めた。
エピソード[編集]
- 新潟へ移籍する前のジェフ千葉在籍時は選手会長を務めていて、若手を引っ張っていた。
- サポーターには、その闘志あふれるプレーぶりから「隊長」と呼ばれ親しまれている。
- 声がやや高く、元ジュビロ磐田の元祖「隊長」中山雅史に声質がちょっとだけ似ている。
- 愛嬌があり、チームのムードメーカーとしても、なくてはならない存在である。
- かつてジェフに在籍していた中西永輔とはプライベートでも仲がよく、坂本に釣りを教えたのは中西である。「ミスター・ジェフ」として長年サポーターに愛されてきた中西の背番号「2」は坂本に受け継がれていた。
- 教育実習で母校の浦和東高へ行った際、受け持ったクラスに川島永嗣と太田康介がいた。
- 一度、喧嘩別れの形で退団した千葉への復帰は、クラブ側の説得と精神的支柱が必要と考えた巻誠一郎の「恋人のように」毎日電話や会いに来た事も大きな要因とされている。
- 元祖「磐田」の隊長(ニックネーム)大先輩中山雅史が2012年12月4日、坂本「千葉」の隊長の引退表明日が2012年12月10日でどんな因果かわからないが同年同月となった。
アルビレックス新潟との関係[編集]
2006年、当時千葉に在籍していた坂本の元に新潟からの獲得オファーが届く。当時の坂本は千葉に残留するつもりでいたが、時の監督であるアマル・オシムの構想外となった彼はやむなく働き場を求め、2007年から3年契約で新潟へ移籍。移籍後は「最初で最後の移籍」「新潟に骨を埋める」「新潟で選手生命を終えても構わない」などの生涯新潟宣言を行い、千葉への未練は断ち切ったように見えた。また、同年は全試合にフル出場し、チームの6位浮上に主力選手として大いに貢献。新潟サポーターからの信頼をがっちりと掴んだかのように見えた。
しかし、2007年オフの千葉の主力大量退団という非常事態を受け、復帰要請が坂本に届くと契約を打ち切り千葉へ復帰。それも2008年1月という、編成が終わりに差し掛かったような時期に移籍を表明した。あまりの変わり身の早さにサポーターの失望は大きく、移籍後の新潟との対戦時は大ブーイングを浴びたり「坂本!坂本!くそったれ!!」のチャント合唱を受けたりするなど、やられたい放題の扱いを受けた。
クラブチームの統計[編集]
年度 | リーグ | 番 | 試合 | 得点 | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|---|
市原/千葉 | リーグ | Jリーグ杯 | ||||
2000 | J1 | 23 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2001 | 23 | 19 | 3 | 4 | 0 | |
2002 | 23 | 30 | 1 | 7 | 0 | |
2003 | 23 | 30 | 1 | 2 | 0 | |
2004 | 2 | 29 | 1 | 4 | 0 | |
2005 | 2 | 34 | 2 | 11 | 0 | |
2006 | 2 | 34 | 1 | 11 | 3 | |
通算 | 176 | 9 | 39 | 3 | ||
新潟 | リーグ | Jリーグ杯 | ||||
2007 | J1 | 14 | 34 | 2 | 6 | 0 |
通算 | 34 | 2 | 6 | 0 | ||
千葉 | リーグ | Jリーグ杯 | ||||
2008 | J1 | 2 | 32 | 1 | 8 | 0 |
2009 | 2 | 33 | 1 | 6 | 0 | |
2010 | J2 | 2 | 21 | 0 | - | |
2011 | 2 | 22 | 0 | - | ||
2012 | 2 | 9 | 0 | - | ||
通算 | 117 | 2 | 14 | 0 | ||
総通算 | 327 | 13 | 59 | 3 |