反社会性パーソナリティ障害
反社会性パーソナリティ障害は「サイコパス」「ソシオパス」とも呼ばれる、人格形成不全(?)をいう。すなわち、「人格形成において試みられている人」である。
「人間というものは、常に未完成である!」とかいって胸を張る奴もいるが。
その特徴についてはさまざまに説明されるが、成育環境の影響が大きいという説がある。幼少期に虐待を受けたケースが多いという。
概要[編集]
かつては「反社会性人格障害」と呼ばれていたが、「人格障害」が言葉狩りによって駆逐されて「パーソナリティ障害」と呼びかえられた。
いわゆる「病識」がないため、当事者本人は診断名を受けいれない(というか、診断される機会がない)ことも多い。特徴あるいは中心症状としては、「我が強いが自我が弱い」点である。
- プライドが高い
- 自己評価が低い
- 仕事ができない
の三点がよく挙げられるが、やや説明不足である。
- 「プライドが高く、自己評価も高く仕事ができる」
ならば反社会的である必然性がないので、サイコパスにはなりづらい。
問題は「仕事ができる」であり、経営者や政治家だと「利益を上げる能力」「管理能力」のあるサイコパスは多く存在し、いわゆる「ブラック企業の経営者」は、犯罪者や患者として扱われていないかぎりは精神鑑定も受けなければ自らカウンセリングを受けることもないので「反社会性パーソナリティ―症候群」とも「サイコパス」とも呼びづらい。
反社や半グレなどは「仕事」の内容にも問題がありそうである。
したがって自己評価も不安定なので見栄を張りがちでもある。
刑事事件の犯人のなかには、「道義的な怒り」「正義感」などを主張する「確信犯」も多く、テロリストにも多く、「世直し」「善行」と考えて正当化することもある。
いわゆる「闇バイト」の元締も、「私は犯罪者として検察に目をつけられるほど馬鹿ではない」という形で自尊心を満たしているわけで、「悔しかったら捕まえてみろ」あるいは「羨ましければ自分のようになってみろ」という自己顕示性があると思われる。これはソシオパスとして別扱いする必要がありそうで、いわゆる独裁国家の主張などはソシオパスであり、習近平やレーニンやスターリンやプーチンはソシオパスに分類したほうがよさそうに思う。
「私は正しいのだから、社会的な成功を収めねばならない」「それを妨害する者を排除することは正義である」と考える。嫉妬心が強く、「本来は私が所有していなければならないものを不当に所有している」と考えることもある[1]。そこから優秀で人気のある人物は「必ず陰で悪事を働いているはずだ」と考えて足を引っ張ったり、ときにテロ行為にも及ぶ。ヤクザがラーメン屋の親父になろうとして弾かれたりすることもあった。
いわゆる「症状」[編集]
当該者はいわゆる「病識」(「自身が病んでいる」という自覚)がないため、精神病の定義である。
- 本人が苦しんでいる
- 他者が苦しんでいる(他者を苦しめている)
かが判別できない。「他者が苦しんでいる」ことを表明するのは自分に対する「加害」であるから、それに対しての「正当防衛」として「他者を苦しめている」。そのため「反社会的」であるとされる。
いわゆる認知症における「まだら呆け」に近い症状もあり、いわゆる「困った人」に分類される。
- 内省的ではないし、即物的でもない。
- 自責的ではなく外責的であり、攻撃的・他罰的である。
- 「言い繕い反応」に長けている。
- “見捨てられ恐怖”が強く「社会から疎外されている」と感じている。
- 即物的(属事的)な問題解決能力に劣っていて、属人的な方法で解決しようとする。
などがある。したがって、エホバの証人などのようにエホ症を患っているため、「他者を操って問題を解決させる」ことに躊躇がない。「私はエホバであり、私に逆らう者はサタンである」といった極性化(ポーラライゼーション)を主張する宗教(「エホバの証人や統一教会」)にハマりやすい。エホ症の症状の多くが当てはまる。
発達障礙との関係[編集]
発達障礙児童は「育てにくい」子供が多いので、保護者や教師からの虐待を受けることが多い。そのため「虐待の連鎖」のような言葉が生まれたが、親が未診断あるいは診断を受け入れない発達障礙者であることは、エビデンスはないが ありそうな話である。
職業[編集]
- 公立学校の教師
- ブラック企業の経営者・従業員
に多そうである。政治家や反社は分母自体が少ない。
宗教[編集]
自己評価を上げようとして、「なんであんな宗教に引っかかるんだろう?」みたいなケースもある。
脚注[編集]
- ↑ 岸田秀『嫉妬の時代』