解離性症候群
ナビゲーションに移動
検索に移動
じつは、解離性症候群という医学用語は存在しない。したがって診断書に病名を書くことができないので、あくまで「患者への説明用」の言葉であり、診断書には「軽うつ」とか記載される。刑事事件だったら「アスペルガー症候群」とか書いても通るが、「高機能自閉」と書かれて嬉しい当事者は少数派である。「精神分裂症」を「統合失調症」と改名されたときに、「あいつらは“分裂失調症”だ」と怒っていた当事者がいた。 そもそも「乖離」というのは“症状”なので、発熱があったら「熱発症候群」とかいった病名で通るかというと、通らない。
概要[編集]
反社会的パーソナリティ障害や若年性認知症を疑いたいが、家族関係に不全があるため、受診するときはおおむね一人である。したがって診断書を書きづらく、こう呼ばれる。 環境圧力の高い環境において育った場合、「いま、ここ」原理が働き、「目先の状況にどう対応すればいいのか」に集中してしまうため、このような行動を取るという説がある。
人間生活との関わり[編集]
診断が難しくプライバシーに関わり、しかも病識がないため、疫学的データが集めにくいので、確たるデータは示せない。
- 作業記憶から中期記憶・長期記憶に移るときに、おそらく超自我の検閲が入るらしく、激高していたときの記憶は残らず、でなければ捏造されて記憶されている。それゆえ、「解離性症候群」と呼ばれる。他者に罵詈讒謗を浴びせかけても、あまり覚えていない。
- 認知症と同じく、「言い繕い反応」「揚げ足取り」が巧みである。相手の話を最後まで聞くことができず、話し終わるまえにぜんぜん別の話をしだす変わる。
- 「私」の意見は「みんな」の意見である。
- 成育歴としては、被虐待家庭や宗教二世(三世以降もいれば脱会者もいる)に育っていることが多い。「私は信者ではない」といいつつも、親戚に信者は多く、考えかたや行動パターンは信者と変わらない。
- 極性化(ポーラライゼーション)が激しい。たとえばエホバの証人は、すべて「白か、黒か」で判断する。人間は「エホバ」「サタン」と、灰色である「世の人」は、エホバでなければサタンなので、「選別」するのが使命だと信じている。
- 外攻的・他責的であり、内攻的・内省的ではない。自分が正しいことを“知って”いるため、自分の信念が「信じており、正しい」と思っている。
- 属事的なこと、たとえば数学などの理系的な学問に対して否定的である。「湿った空気は乾いた空気よりも軽い」とかいった言説は、「この人は難しい話をして私を騙そうとしている」などと、属人的な問題として捉える。
- 精神主義的であり、「努力」「がんばり」に執着する。「私が言ったことは私が知っていることなので、結果が悪かったら私が言ったとおりに行動しなかったからだ」と考える。逆に結果が良かった場合は「自分の言ったことが正しかった」ということである。こんなのが上司にいると、部下は堪ったものではない。
- 独特の信条・信念があるが、ときに相互に矛盾している。このあたりは、いわゆる「多重人格(解離性同一性人格障害)」と似ている。「あのときはあのとき、今は今」(通時性の喪失)「それはそれ、これはこれ」(共時性の喪失)なので、「通時性」と「共時性」を尊重しないため、人格的な全体性を欠いている。
病像[編集]
「加害者」と「被害者」の両方の反応がある。
- 「絶対」「私は間違っていない」とかいった言葉をよく使う。
- 命令形は使わない。命令をすると自分の責任になってしまうので、「依願」や「質問」の形で話す。あるいは疑問形が多く、「あなたはどうしてこんなことができないの?」とかいった物言いをする。
参考文献[編集]
- 戸田 正直『感情 ― 人を動かしている適応プログラム』(認知科学選書 24, 1992)