呂 建(りょ けん、生没年不詳)は、中国の後漢末期の武将。曹操の家臣。『徐晃伝』に記述がある。
曹操の部下で、219年に関羽が曹仁を攻めて于禁を捕虜にした後、新たな援軍として徐晃に配属されて徐商と共に出陣する[1]。徐晃と協力して関羽の軍勢を撃ち破った[1]。
『三国志演義』では第75回で登場し、史実通り徐商と共に徐晃に配属されている。徐晃の命令で徐商と共に関平を攻め、数回打ち合ってわざと敗走してその隙に徐晃が背後から関平を撃ち破るなど史実通り活躍した[1]。