厳顔
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厳 顔(げん がん、生没年不詳)は、中国の後漢末期の武将。益州巴郡の太守[1]。
生涯[編集]
益州巴郡臨江県の出身[1]。はじめ劉璋に仕え、劉備の入蜀の際には「虎を放つようなもの」と嘆息したという[1]。劉備が劉璋軍に攻撃を開始すると諸葛亮や張飛によって巴郡は攻められ、厳顔は江州で張飛に生け捕られた[1]。張飛が「何故降伏せずに抵抗した」と尋ねると「我が州には首を刎ねられる(断頭)将軍はいても降伏する将軍はいない」と臆することなく答えた[1]。張飛が激怒して厳顔の首を斬らせようとした時、厳顔は顔色ひとつ変えずに「斬りたくばさっさと斬れ」と言ったので、張飛は感じ入って釈放して賓客としてもてなし、厳顔は劉備の家臣となった[1]。
『三国志演義』では老将軍として描かれ、弓矢が得意で張飛の兜に命中させている。張飛の策略にはまって出撃して生け捕られ、史実通りのやり取りを経て劉備の家臣となる。黄忠と老将タッグを組んで漢中攻防戦で活躍し、火攻めで夏侯徳を討ち取り、曹操軍の兵糧庫を奪い取るなどしている。