原昌栄

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原 昌栄(はら まさひで、? - 天正8年(1580年10月[1])は、戦国時代武将甲斐武田家の家臣。弟に昌弘貞胤

生涯[編集]

武田信玄の譜代家老である原昌胤の長男[1]。父と同じ隼人佑の官途を称したため、2代隼人佑と称される[1]。天正3年(1575年)5月の長篠の戦いで父が戦死したため、家督を継いで武田勝頼に仕える[1]。天正4年(1576年)4月に信玄の葬儀が行なわれると参列し、御腰物を持って勝頼に供奉した[1]。勝頼政権では奉行として活動し、天正8年(1580年)に駿河沼津城の普請を担当した[1]。同年10月、上野東部の善城の戦いで戦功を立てたが、この時の重傷が原因で甲府に帰還してまもなく死去した[2]

跡を弟の貞胤が継ぎ、彼は3代目隼人佑と称された[2]

脚注[編集]

  1. a b c d e f 柴辻俊六・平山優 『武田勝頼のすべて』新人物往来社、2007年、P233
  2. a b 柴辻俊六・平山優 『武田勝頼のすべて』新人物往来社、2007年、P234

参考文献[編集]

  • 柴辻俊六平山優 『武田勝頼のすべて』(新人物往来社、2007年) ISBN 978-4-404-03424-3