北条氏親
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北条 氏親/新九郎(ほうじょう うじちか/しんくろう、天文6年(1537年) - 天文21年3月21日(1552年4月14日))は、戦国時代の後北条氏の一族。父は後北条家3代当主・北条氏康で、4代当主・氏政の兄にあたる。幼名は西堂丸(せいどうまる)。
略歴[編集]
父は北条氏康で長男[1]。母は今川氏親の娘・瑞渓院殿。後北条家歴代当主の仮名である新九郎を称しているため、氏康最初の嫡子である。元服は天文20年(1551年)末頃と推測される[1]。
天文21年(1552年)3月21日に小田原城において死去した。享年16。法名は天用院殿雄岳宗栄大禅定門[1]。
氏康は氏親に代わる嫡男として、同母の次男である氏政(松千代丸)を嫡男に指名し、後に氏政は永禄2年(1559年)に後北条家の第4代当主に就任した。
なお、氏親の名乗りは母方の祖父である今川氏親と同じ名前であり、これは偶然ではなく、氏康が氏親を強く意識して名付けたものと見られている[2]。