北条氏成
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北条 氏成(ほうじょう うじしげ、? - 元禄10年5月3日(1697年6月21日))は、江戸時代前期の和歌山藩の家臣。後北条家の一族。
生涯[編集]
北条氏政の5男・直定の子の氏時の子・氏常の養子に当たる[1]。実家は氏政の弟・氏規の子・氏盛から始まる河内狭山藩の家系で、氏成は第4代藩主・氏治の弟に当たる。実の兄弟に氏治のほか、氏清、氏澄、氏朝がいる。養子の兄弟に氏賢[1]。
幼名は鍋千代。仮名は源蔵・彦五郎[1]。慶安3年(1650年)9月に氏常が若くして死去したため、その養子となって家督を相続している。元禄10年(1697年)5月3日に死去。法名は円了院殿智舜日惣信士[1]。
系図などに子供が見られないためか、同じように養子になっていた氏賢が跡を継いだものと見られるが、直定の家系は氏賢を最後に確認できなくなっている[1]。