北条 氏時(ほうじょう うじとき、生没年不詳)は、江戸時代前期の和歌山藩の家臣。後北条家の一族。
北条氏政の5男・北条直定の子[1]。母は北条氏規の娘と見られる[1]。子に氏常がいる[1]。
父親が文禄年間を最後に史料に名前が見えないため、母親に育てられた可能性がある。母親は元和3年(1617年)6月に死去している[1]。
氏時は徳川家康の10男で紀伊和歌山藩主となった徳川頼宣に仕えている[1]。寄合衆に列して知行は1000石を与えられ、内記の通称を名乗っていたようである(『国初御家中知行高』)。
死後、家督は子の氏常が継承した[1]。