北条時直 (実時の子)
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北条 時直(ほうじょう ときなお、? - 元弘3年/正慶2年(1333年))は、鎌倉時代中期から末期にかけての北条氏の一門で武将。北条実時の子。長門探題。金沢 時直(かねさわ ときなお)とも。
生涯[編集]
通称は相模五郎という。兄に実村、篤時、顕時。弟に実政。姉妹に女子(長井宗秀室)、女子(北条長頼室)、女子(飛鳥井雅有室)。子に上野四郎。
式部大輔、遠江守、上野介などの官途を歴任。幕府においては大隅の守護のほか、周防・長門の守護や長門探題などを歴任した。
後醍醐天皇による討幕運動が激しくなると、元弘3年/正慶2年(1333年)閏2月11日、並びに3月12日に討幕軍として挙兵した土居通増、祝安親、忽那重清らと伊予国石井浜、星岡で戦うも、共に敗北した。5月になると厚東氏、由利氏、高津氏などの討幕勢力に攻められて瀬戸内海に敗走。この海上において5月下旬に鎌倉陥落と北条一族の滅亡を知り、抵抗を断念して5月26日に討幕派の少弐貞経に降伏し、許されて所領安堵を受けるも、しばらくして没したという。