北条時村 (時房の子)
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北条 時村(ほうじょう ときむら、? - 嘉禄元年12月2日(1226年1月1日))は、鎌倉時代前期の武将で北条氏(時房流北条氏)の一門。
生涯[編集]
父は初代連署の北条時房[1]。母は足立遠元の娘。祖父は初代執権の北条時政。伯父に第2代執権の北条義時。兄弟に時盛、資時、朝直、時直、時定、持定、房快、忠源、女子(一条頼氏室)、女子(北条朝時室)、女子(安達義景室)。子に時隆、時広、忠源、娘(藤原実直室のち藤原公直室)。
健保6年(1218年)4月14日に父と共に後鳥羽上皇の蹴鞠の会に参加する。承久2年(1220年)に資時と共に突然出家した。嘉禄元年(1225年)12月2日に父に先だって若くして死去した[1]。
和歌に優れた文化人であり、『玉葉和歌集』『新勅撰和歌集』『新後撰和歌集』『続古今和歌集』『続拾遺和歌集』などに時村の詠歌が収められている。時村の和歌の師匠である藤原定家はその早世を惜しんだと伝わっている[1]。