北条乙松丸
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北条 乙松丸(ほうじょう おとまつまる、生没年不詳)は、戦国時代の武将。後北条氏の一族。父は北条氏秀。祖父は北条綱成。
略歴[編集]
父の氏秀が天正11年(1583年)6月2日に死去したため、家督を相続する[1]。ただし記録が幼名であるため、恐らく少年だったと見られ、家督相続にあたって隠居していた宗家の当主・北条氏政が後見を務め、その家臣団の統制も氏政が行なっている[1]。
天正12年(1584年)3月に江戸の平河法恩寺に対して寺領について代替わり安堵を行ない、10月に石神井三宝寺に代替わり安堵、禁制を与えていることから、この頃から氏秀の後継者としての活動を開始していたものと推測される[1]。ところが、乙松丸の記録はこれを最後に見られず、恐らく早世したものと思われている[1]。
後継者がいたような記録も無く、氏秀の家系は断絶した[1]。このため氏秀・乙松丸の所領や家臣団は氏政がそのまま管轄することになった[1]。