内管領
ナビゲーションに移動
検索に移動
内管領(ないかんれい/うちかんれい)とは、鎌倉幕府の執権職を継承した北条氏の宗家に仕えた執事のことを指す役職のことである。
概要[編集]
この役職はあくまで北条氏の私的な家政機関であり、鎌倉幕府が設置した役職ではない。
北条得宗家に仕えた家臣は御内人と呼ばれるため、そのトップを指すことから御内頭人(みうちとうにん)とも言われている。また、権力は非常に強大であったがあくまで内管領は北条氏の家臣であるため、征夷大将軍から見た場合は陪臣に当たり、実質的にはともかく形式的な地位は決して高くは無かった。内管領と呼ばれだしたのは平頼綱の頃とされている。
北条得宗家の当主貞時が嘉元の乱の後に政治意欲を失った鎌倉時代後期から、事実上の最高権力者として権力を振るい、執権すら名目上の存在となった。
有名な内管領としては霜月騒動や平禅門の乱に深く関与した平頼綱、北条高時(貞時の子)に仕えて権勢を誇った長崎円喜・長崎高資父子などが挙げられる。
内管領は権勢を振るって御家人を抑圧したため非常に評判は悪かったが得宗家には忠実だったようで、元弘3年/正慶2年5月22日(1333年7月4日)の鎌倉幕府の滅亡に際して長崎父子は高時に殉じている。これにより内管領の歴史も終わりを告げた。