光山聖俊
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光山 聖俊(こうざん せいしゅん、寛正3年7月14日(1462年8月9日) - 永正2年8月26日(1505年9月23日))とは、室町時代中期から後期にかけての足利将軍家の一族。道号は光山。諱は聖俊。大慈院(南御所)の住持を務めた。
生涯[編集]
父は室町幕府の第8代征夷大将軍・足利義政。母は正室・日野富子。第9代将軍・足利義尚や義覚らは同父母の弟に当たる。一色義直屋敷で生まれた。
日野富子にとっては初めての娘だったため、彼女より上の異母姉・周舜がいたが彼女が嫡女として扱われた。時期不明だが、大慈院に入院して住持となった。
弟や父母より長生きし、永正2年(1505年)8月26日に44歳で死去した。