依光蔵進 (初代)
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依光 蔵進(よりみつ くらのしん、? - 天正11年(1583年))は、安土桃山時代の武将。長宗我部氏の家臣[1]。
略歴[編集]
父は川窪定氏で3男[1]。兄に越中守、法厳。弟に加兵衛(意休)などがいる[2]。子に蔵進。
兄・越中守が長宗我部元親の命令で川窪から依光に改姓した際、共に改姓した。13町5歩の所領を与えられ、天正3年(1575年)の四万十川の戦いに参加して敵の首級をとる功績を立てた。天正7年(1579年)には阿波国の重清城や岩倉城攻撃に参加して武功を立てた[1]。
天正11年(1583年)、引田の戦いにて戦死した。子の和歌が父と同じ蔵進を称して、2代目蔵進として跡を継いだ[1]。