佐藤清信
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佐藤 清信(さとう きよのぶ、生没年不詳)は、戦国時代の武将。諱は秀信(ひでのぶ)、方信(まさのぶ)、正秋(まさあき)とも言われる。通称は六左衛門尉。美濃国武儀郡上有知村鉈尾山城主。子に佐藤秀方、遠藤慶胤室。
生涯[編集]
最初は美濃国の斎藤氏に仕えた。永禄6年(1563年)に保寧寺(後の以安寺)や上有知八幡神社などを建立した。
永禄10年(1567年)に斎藤龍興が織田信長に敗れて美濃国から退去すると、信長に従う。その後、北畠具教が立て籠もる伊勢国大河内城攻め、姉川の戦いなどに参戦したと言われているが、息子の秀方と事跡が混同しているという説があり、不明である。没年は元亀元年7月27日(1570年8月28日)と言われているが、異説もあり不明である。