佐藤右近右衛門

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佐藤 右近右衛門(さとう うこんえもん、? - 永禄8年8月25日1565年9月19日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将斎藤氏、後に織田氏家臣

生涯[編集]

父は佐藤忠能。最初は父と共に斎藤家に仕えた。

永禄8年(1565年)、美濃国攻略を目指す織田信長に父と共に丹羽長秀を通じて内応する。そのため、7月10日付で信長より美濃3郡の反銭・夫銭の召し置きを許されている。しかし、裏切りを知った斎藤龍興は一族の長井道利を差し向け、信長も佐藤家を救援して堂洞城を攻撃し、佐藤父子は加治田城を出て堂洞城攻撃に参加している。

しかし8月25日、斎藤利治と共に加治田城西の大手口を守備していた際、長井道利の攻撃を受けて戦死した。

後継者を失った忠能は、斎藤利治を養子に迎えて加治田城を譲っている。