伯太藩
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伯太藩(はかたはん)は、江戸時代中期から明治時代初期にかけて和泉国大鳥郡・和泉郡などを支配した藩である。藩庁は伯太陣屋。藩主家は譜代大名の渡辺氏。現在の大阪府和泉市伯太町に存在した。
概要[編集]
享保12年(1727年)、和泉国大庭寺藩主の渡辺基綱は、藩庁を和泉国大鳥郡大庭寺村から和泉郡伯太に移し、ここに伯太藩が立藩した。所領は和泉・河内国・近江国などに合わせて1万3520石である。
天明4年(1784年)、第5代藩主・渡辺豪綱の時に打ちこわしが起きている。第8代藩主・渡辺潔綱は教育に熱心で、天保年間から陣屋の書院で講釈を行なったりしていたが、第9代藩主・渡辺章綱の時である明治元年(1868年)に藩校・伯太仮学校が創設された。ただし、慶応2年(1866年)には下条大津村で米価騰貴を原因として世直し一揆と打ちこわしが起きたりもしている。
なお、小藩の悲しさから享保年間から既に藩札を発行していたが、明治4年(1871年)の廃藩置県によって伯太藩が消滅した際、潔綱は明治政府に対して新貨幣との交換を要求しなかったといわれる。
歴代藩主[編集]
渡邊(渡辺)家[編集]
譜代 1万3520石