伊藤 右京亮(いとう うきょうのすけ、生没年不詳[1])は、戦国時代の武将。甲斐武田氏の家臣。信濃高井郡坂田郷(現在の須坂市)の国衆[1]。
弘治3年(1557年)3月26日に武田晴信から高梨間山郷(現在の中野市)で300貫文を与えられた(疑問視される説もある)[1]。その後も朱印状などでこの名前は散見されるが、主だった活躍などは不明。
天正10年(1582年)3月に甲斐武田家が滅亡すると上杉景勝の家臣となり、天正12年(1584年)9月13日に上杉景勝が信濃に出陣した折に須田満親の嫡子・満頼に従って出陣するように命令を受けている[1]。