今福 昌常(いまふく まさつね、生没年不詳)は、戦国時代の武将。甲斐武田家の家臣。武田家滅亡後に徳川家の家臣。官途は新右衛門尉[1]。受領名は和泉守[1]。
父は今福浄閑斎[1]。兄に今福虎孝と今福昌和がおり、昌常は3男である[1]。父や兄と共に武田信玄に仕え、その没後は武田勝頼に仕え、天正6年(1578年)から勝頼の側近として活動している[1]。天正10年(1582年)3月の武田征伐で甲斐武田氏が滅亡すると徳川家康に仕え、武田家遺臣が徳川家康に提出した天正壬午起請文の取り纏め役となっているが、以後の活動は定かではない[1]。