今井正人
山の神、ここに降臨。その名は、今井正人!
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選手情報 | |||
愛称 | 山の神、元祖山の神、初代山の神 | ||
国籍 | 日本 | ||
競技 | 陸上競技 | ||
種目 | 長距離走・マラソン | ||
所属 | トヨタ自動車九州 | ||
大学 | 順天堂大学 | ||
生年月日 | 1984年4月2日(40歳) | ||
出身地 | 福島県相馬郡小高区 | ||
身長 | 169 | ||
体重 | 55 | ||
自己ベスト | |||
1500m | 3分52秒36 | ||
5000m | 13分47秒15 | ||
10000m | 28分18秒15 | ||
ハーフマラソン | 1時間02分37秒 | ||
マラソン | 2時間07分39秒 | ||
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今井 正人(いまい まさと、1984年4月2日 - )は、日本の陸上競技選手。福島県相馬郡小高区出身。
経歴[編集]
小中学校では、野球部に所属。中学校では、助っ人で駅伝に駆り出されることがしばしばあり、中学3年生では全国都道府県対抗男子駅伝競走大会で区間3位の成績を残した。高校は福島県立原町高等学校に進学し、1年生で5000m優勝、2年時の都道府県対抗駅伝では区間新記録を樹立。3年次の2002年に行われたふくしま駅伝で驚異の58人抜きを見せた[1]。
大学は高校時代の恩師で順天堂大学で箱根駅伝4連覇(1986~1989)の経験もある畑中良介の影響、高いレベルと指導者を志していた事から順天堂大学に入学した[2]。
大学時代[編集]
大学入学後に練習環境の違いに苦戦したが、当時のチーム状況が下級生主体であった事から、1年生ながら第80回箱根駅伝に出場。「花の2区」では区間10位であったが、権田坂等で5人抜きをするなど、才能を表しつつあった。ただ、本人は「雲の上を走っているようだった」と語っている[3]。
2005年の第81回大会では往路5区を任され、15位で襷を受け取ると、驚異の走りで前年9人抜きを達成した鐘ヶ江幸治を上回る11人をごぼう抜きし、さらに区間新記録を更新する1時間9分12秒という快走を見せ、チームを往路4位に押し上げた。2006年からは5区のコースが延長され、かつ2015年からは函嶺洞門の通行禁止と同バイパスへの走路変更が実施された[4]ことにより、5区コースの再短縮後も今井のこの記録は「参考記録」として永遠のものとなった[5]。なお、走路変更後を含め、同距離で施行される5区を1時間9分台で走りきった選手は第100回大会で山本唯翔(城西大学、1時間9分15秒)・若林宏樹(青山学院大学、1時間9分33秒)が現れるまで今井のみだった。今大会では大会MVP選手に贈られる金栗四三杯を受賞した。
2006年は「箱根から世界へ羽ばたくランナーが育った欲しい」という願望から、コースが2.5km延ばされ、更に往路当日は土砂降りになるなど、コンディションは最悪であった。しかし、前年と同じ5区を走る今井はものともせず、小田原中継所で6位、自身の疲労骨折の影響を感じさせない走りで、2年連続区間新記録となる1時間18分30秒で往路優勝に貢献した。復路も7区時点では1位だったが、8区の難波祐樹が脱水症状でブレーキしてしまい、復路4位に終わった。自身は2年連続の金栗杯を受賞。
最上級生となった2007年も主将として最終5区を走り、中継所時点で東海大学と4分差という大きくタイムが開いた展開となった。序盤は日本体育大学の北村聡と並走状態が長く続き、9kmで突き放すと北村との並走で軽い肉離れを起こしはしたが十八番のごぼう抜きで16kmでトップに立つと、独走状態で区間記録を更新するペースで走り、結局区間記録を25秒更新する1分18秒5秒で往路優勝のゴールテープを切った。自身の打ち立てた記録更新の他に、3年連続区間新記録、3年連続金栗杯受賞の功績を残した。リベンジとなる往路では、一度も首位を明け渡す事なく、総合優勝を果たした[6][注 1]。
また、「山の神、ここに降臨。その名は、今井正人!」という名実況も生まれた[注 2]。
入社後[編集]
大学卒業後は、1992年バルセロナオリンピックで銀メダルを獲得した森下広一の存在や刺激的な環境を求めて、トヨタ自動車九州に入社。2008年の北海道マラソンでフルマラソンを初めて走った。高校時代からの憧れであったオリンピック出場を目指して、世界選手権を手に入れる戦いは意外にも厳しく、2011年のびわ湖毎日マラソンでは日本人3位。同年に行われた日本国内最終選考の福岡国際マラソンではベストタイムではあったが、日本人2位で世界選手権への切符を後一歩で逃した。
2015年には北京で行われる世界選手権への出場を決めたが、直前に髄膜炎を患い出場を辞退した。2019年の東京マラソン2019で日本人2位でMGCへと出場したが、25位と振るわなかった。
自身の引退を賭けて臨んだ大阪マラソン2022では6位に入り、MGC出場権を獲得。しかし、MGCでは35kmでオーバータイムとなり失格となった。
2024年2月25日の日本選手権クロスカントリーをもって現役引退を表明し[7]、引退後はトヨタ自動車九州のコーチに就任し[8]、同年4月1日に母校・順天堂大学のコーチに就任した[9]。
出典[編集]
- ↑ 「ここに立てたことを幸せに思う」悲願の五輪出場かけて…39歳、今井正人が挑んだMGC
- ↑ 初代・山の神の苦悩「そう呼ばれて、それを超えられていない悔しさはある」。箱根駅伝5区で3年連続区間賞・今井正人が振り返る順天堂大時代1
- ↑ 初代・山の神の苦悩「そう呼ばれて、それを超えられていない悔しさはある」。箱根駅伝5区で3年連続区間賞・今井正人が振り返る順天堂大時代2
- ↑ “【箱根駅伝】名物の5区山上りコース20メートル延長!歴代記録は「参考」扱いに”. スポーツ報知. 報知新聞社. 2015年1月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月23日確認。
- ↑ 【つないだ襷・箱根駅伝100回】今井正人、走り続ける「山の神」
- ↑ PlayBack箱根駅伝2007/〝山の神〟今井擁する順大が往路・復路完全優勝
- ↑ 箱根駅伝の初代「山の神」今井正人が現役引退 25日にラストレース
- ↑ 「山の神」今井正人氏、母校・順天堂大コーチに就任…トヨタ自動車九州のコーチも兼務
- ↑ 順天堂大学陸上競技部長距離ブロック 今井正人氏、田中秀幸氏コーチ就任のお知らせ