久万 俊朝(くま としとも、? - 慶長20年(1615年))は、安土桃山時代の武将。長宗我部氏、次いで藤堂氏の家臣。受領名は豊後守[1]。
父は久万俊政。父の死後、家督を相続して長宗我部元親・盛親に仕える。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで主家が改易されたため、藤堂高虎に仕えた。しかし、大坂の役が始まると旧主・盛親を慕って大坂城に入城する。だが、病気に倒れて動けなくなり、大坂落城後に自殺した[1]。