中田一郎 (政治家)
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中田 一郎(なかだ いちろう[1]、1930年7月18日 - 2012年2月1日[2])は、政治家、評論家[3]。
島根県大田市生まれ[1]。1950年日本社会党に入党[4]。1953年中央大学法学部卒。この間、社会党右派の独立青年同盟(独青)、青年懇話会の活動に参加し、のち民主社会主義学生同盟(民社学同)、民主社会主義青年同盟(民社青同)の結成に参加。1960年民社党の結党に参加。1967年埼玉県朝霞市議会議員に当選し、1987年に引退するまで連続5期20年間在職。1971~1982年民社党埼玉県連書記長。1985~1993年民社党統制委員。1987~1993年県連副会長・県連常任顧問。1993~1994年県連会長[1]。1994年6月民社党統制委員長(同年11月に解党)[5]。1994年埼玉民社協会会長、埼玉社会問題研究会会長[1]。2001~2003年民社協会理事長[6]。その後、民社協会常任顧問、埼玉民社協会顧問、民主党埼玉県連常任顧問、埼玉県教科書改善連絡協議会会長なども歴任。2002年の「日本李登輝友の会」設立時に理事となり、2004年に設立された埼玉県支部の支部長も務めた[2]。2008年時点で民社人権会議副代表幹事、埼玉社会問題研究会会長[4]。
2012年2月1日、死去、81歳。葬儀委員長は野木実・衆議院議員[2]。
著書[編集]
- 『文明の未来のために』(埼玉産業教育協会、1987年)
- 『日本人の歴史認識――民族の誇りと国家の名誉』(展転社、2000年)
- 『日本の独立自尊――民族の気概・国家の大義』(富士社会教育センター、2002年)
- 『民社党への追憶――自分史との関わりにおいて』(富士社会教育センター、2004年)