中山田 政氏(なかやまだ まさうじ、生没年不詳)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。香宗我部氏の一族で家臣。
父は中山田秀政。伯父に中山田泰吉。諱の政氏は父親からの偏諱と思われる。
関ヶ原の戦いで長宗我部盛親が改易となり、香宗我部貞親が和泉国堺に退去する際、父の命令で10歳の貞親を守り、堺で7年間にわたって貞親の養育に当たったという[1]。