中内 源兵衛(なかのうち げんべえ、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。長宗我部氏の家臣[1]。
父は中内藤左衛門。父と共に長宗我部元親に仕え、四国制圧戦に参加して天正7年(1579年)に讃岐国財田城を父と共に守った。源兵衛は元親から長宗我部家中における若手として期待され重用され、天正10年(1582年)8月の中富川の戦いでも戦功を立てた。そのため、久武親直や桑名吉成ら久武氏、桑名氏と共に長宗我部家の三家老として、一族は岡豊城付近に居住して主家を支える藩屏として重用された[1]。