下曾根出羽守
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下曾根 出羽守(しもそね でわのかみ、生没年不詳)は、戦国時代の武将。甲斐武田家の家臣で一門。諱は不詳。
生涯[編集]
下曾根氏は武田信重の子・賢信を祖とする武田一門で、出羽守は武田信虎に仕えて永正17年(1520年)に今井信是、大井信達、栗原信友らが反乱を起こした際に曾根縄長と共に信虎軍の中心人物として活躍し、6月10日の今諏訪合戦で勝利に貢献した[1]。武田勝頼の時代に裏切りを見せた下曾根信恒は息子と推測され、彼により高野山成慶院で供養が行なわれている。なお、信虎追放の前年の5月19日付でその供養は行われており[1]、信虎時代に没したものと思われる。法名は堅公禅定門[2]。