上関城

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上関城(かみのせきじょう)とは、現在の山口県上関町大字長島に存在した日本である。

概要[編集]

長島に存在した中世の山城で、室町時代能島村上水軍村上義顕の子・村上吉敏がこの地に移って海の関所を設け、以後は歴代がこの城を居城とした。能島村上氏はここを通過しようとする船舶から帆別銭と呼ばれる税を徴収し、その見返りに免符を発行して海上における安全を保障した。これに応じない船、あるいは免符を所持していない船に対しては武力を用いて船を襲撃し、船あるいは積み荷を押収していたという。

大寧寺の変により大内義隆が横死し、毛利元就が義隆を討った陶晴賢を討つために能島水軍をはじめとした村上水軍に誘いをかけた。これに対して陶晴賢も村上水軍に誘いをかけ、結果的に村上水軍は元就に応じて、厳島の戦いにおける元就勝利の遠因となった。

晴賢の死後、元就は大内義長を攻めて周防国長門国を制圧し、この際に上関城は廃城とされた。その見返りに村上水軍の武将らは毛利氏の客将として扱われるようになり、毛利水軍として編成されていった。現在、城跡にはわずかに石垣が残るのみで、城山歴史公園となっている。

アクセス[編集]